2018年4月8日

2018年4月8日                  「教会(公同)の目的」                 エフェソの信徒への手紙4章7~16節

「こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を作り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ち溢れる豊かさになるまで成長するのです。」(エフェソ4:12・13)
今日は公同の教会、すなわち「キリストの体」について考えてみたいと思います。まず前提は、「聖なる者」であるという事です。単なる罪を赦された罪人ではなく、「神の子となる資格」(ヨハ1:12)を与えられました。それだけでなく「わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。」(ヨハ14:12)と言われたのです。つまり私たちは、神の子としての身分だけでなく、神の子としての働きをすることができるということです。さてそこには2つの方向性があります。1つは成熟・成長すること・・イエス様に聞き、イエス様に従い、イエス様と共に行動する大人のクリスチャンとなることです。2つ目は、「あらゆる節々が補い合うことによって」(16)と書いてあるように、助け合うことです。つまりチームになっていくことです。それはプロのスポーツチームがそうであるように、自分の弱みではなく強みを活かしていくことです。出来ないことではなく出来ることでチームに仕えていくことです。そして、主は「わたしたち一人一人に」(7)賜物を恵みとして与えられています。これらの事を現実化していくために最も大切なことは自分の賜物は何か?また、賜物を活かすポジションー役割は何かを知っていくことです。

2018年04月08日