2016 年1月17日 「与えられた資格」 ヨハネによる福音書1章6~13節
「しかし、言は、自分を受入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えられた。」(ヨハネ1章12節)
今週から、「ヨハネによる福音書」を学んでいきたいと思います。著者は、イエス様の12弟子であるヨハネです。職業は、漁師です(マタ1:21)。執筆年代は85~90年頃で、本書が書かれた目的はイエス様こそ神の独り子であり、信じて永遠の命を受けることです(20:31)。さて、「言」は、神様の御意志であり、神様そのものであり、そしてこの御方は創造主であると書いてあります(1~3)。聖書は、被造物である私たちが、この御方を認めず、この御方から離れたのが死(滅び)の始まりであり、原因であると書いてあります。しかし、素晴らしい「しかし」です。「その名」とは、「イエス・キリスト」のことです。「イエス」とは、神様が付けられた名前で(ルカ1:31)、神は救うと言う意味です。「キリスト」は、ヘブライ語のメシア(神様から油注がれた者の意味)のギリシャ語読みで、救い主と言う意味があり、いうなれば職名です。「神は救う」と言うお方は、世を救うために神様から遣わされてきた「救い主」だということです。このことを信じますか?と神様は問われるのです。以前は「神の民」となるために「律法」を与えられました。しかし、自分の能力に頼って守ろうとするかぎり、決して守れないのです(るか18:9~14)。しかし、信じる時初めて、律法の要求に答えることが出来るのです。
2016年1月24日 「人として来られた神」 ヨハネ1章14~18節
「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハネ1章18節)
私たちは、神に祈ります。特に正月にはにわか信者になってビックリするほどたくさんの人が神社やお寺に行きます。なぜ私たちは祈るのでしょうか?神は人より強い存在なので、この御方を怒らせないように(罰が当たらないように)、感謝をささげたり、また、神は人より豊かな御方なのでその豊かさを少し恵んでもらおうと(御利益)しているのではないでしょうか?では、聖書の神様はどんな御方ですか?聖書によれば、天と地・・宇宙と地球を造られ、人をはじめすべての生き物を造られ、支配(管理)されている創造主なる御方です。これほど強く豊かな御方はおられないでしょう。しかし、この御方は、「罰が当たらないように」と微妙な関係では満足せず、御自ら人の世の真っ只中に来られ、また、わたしたちが求める「わずかの御利益」ではなく、御自身が持っておられるすべてのものを与えようとしておられるのです。「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(Ⅱコリ8:9)これは時代劇の「水戸黄門」や、「遠山の金さん」より遥かにすごいことだと思いませんか。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。」(Ⅰヨハ4:10)
2016年1月31日 「主のみ業の前に」 使徒言行録1章12~15節
「120人ほどの人々が一つになっていた。」(使徒1章15節)
皆さんは、何かをやろうとする時、いきなり突然始めるのではなく、あらかじめ下準備をされるでしょう。イエス様がお生まれになる前には、バプテスマのヨハネを送られ、人々を備えられました。イエス様が昇天されたあと、弟子たちが神様のお心を行うのに一番重要な、助け手なる聖霊様をお与えになるための備えは、何といっても心を合わせた一致と秩序だったのです。ご周知のように、イエス様が十字架にかかられる直前の弟子たちは、われわれの中で誰が一番偉いかと争っていました(ルカ22:24)。しかし、1:14では、男ばかりではない、数にさえられ入らなかった婦人たちも含めて、弟子たちが心を合わせて、熱心に祈っています。聖霊降臨後の2:14では、「すると、ペトロは11人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。」メッセージを与えられた一人を尊重し、共に立つことにより、チームであることを表したのです。
この年、実を結ぶ年として、神様のみ業を待ち望んでいます。そのみ業を見させて頂くための、最も重要な備えは、相生めぐみキリスト教会だけに限らず、すべてのキリストの生きた宮(教会)である私たち一人一人が、互いに愛し合い、心を一つにして、主の御心を知り、御心を行う一人一人にさせて頂きましょう。
2016年2月7日 「荒れ野で叫ぶ声」 ヨハネによる福音書1章19~28説
「ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。『わたしは荒れ野で叫ぶ声である。【主の道をまっすぐにせよ】と。』」(ヨハネ1章23節)
「後藤健二さん、追悼記念礼拝」に行ってきました。「昨年1月30日、フリー・ジャーナリストの後藤健二兄が、イスラミック・ステート(IS)によって、殺害されました。後藤さんは、長年、アフガニスタンやシリアの紛争を、そこで犠牲となっていく力のない人たちの視点から、世界に発信し続けてきました。・・開式責任者:石原等(日本キリスト教団相生教会牧師)」(案内チラシから引用)そこで生前の働きを紹介する動画を見せてもらい、静かに叫ぶ「声」であったのだと思わされました。改めて、遺族の方々のために、天父のお慰めをお祈り致します。さて、バプテスマのヨハネも、「荒れ野で叫ぶ声」でした。ヨハネは、「エリヤ」にも(マラキ3:23)「モーセ」にも(申命18:15)、あるいは、メシア(キリスト)にもなれたかもしれません。しかし、私は民に、主の到来に備えるように告げる声、だと言ったのです(イザ40:3~5)。「主」とは、救い主(キリスト)のことであり、当時無名であったイエス様のことです。ある面、イエス様は今も無名なのです。私たちは、イエス様を個人的な救い主として知っていますが、多くの方は名前ぐらいしか知らず、自分と何の関係もないと思っています。誰かが紹介しなければなりません。「もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」)4:29)とあの、サマリアの女のように、喜びと確信をもって伝える者とさせていただきましょう。
2016年2月21日 「メシアとの出会い」 ヨハネによる福音書1章35~42節
「彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、『わたしたちはメシアー〔油を注がれた者〕と言う意味―に出会った』と言った。(ヨハネ1章41節)
「見よ、神の小羊だ」(36)とバプテスマのヨハネが言ったのは、弟子たちにイエス様を紹介するためでした。そこで、2人の弟子たち・・アンデレとおそらく著者であるヨハネは、イエス様について行き、一緒に泊まり、そして「メシアに出会った」と言ったのです。私たちにも様々な出会いがあります。しかし、駅や街で大勢の人に出会っても、「出会った」と感じないように、私たちにも偶然に出会うことはないのです。紹介されたから・・そういうこともあるかも知れません。しかし、ここに記されていませんが、バプテスマのヨハネが紹介したのは、たった2人の弟子だけではないはずです。ではなぜ彼らはメシアに出会うことが出来たのでしょうか?それは、イエス様がついてきた彼らに「何を求めているのか」(38)と問われたように、私たちの動機が出会いを産むのです。それでは、どのような求めがメシアに出会わせたのでしょうか。パゼット・ウイルクス著「救霊の動力」には人々の5つの求めが記されています。①安息に対する願い(マタ11:18)②喜びに対する願い(ヨハ4:14)③力に対する願い(ヨハ8:32・36)④光と確信に対する願い(ヨハ8:12)⑤永遠の命に対する願い(ヨハ3:16)
私たちも、どのような求めによってイエス様に出会ったのかを思い出し、他の人の願いを聞いて、メシアを紹介するものとさせていただきましょう。
2016年2月28日 「平和を実現する者として」 コリントの信徒への手紙二 5章16~19節
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5章9節)
今は終末の時代です。聖書の預言によれば、やがてこの地球は、宇宙もろとも焼けてなくなり、神の造られる新しい天と地が現れるとあります。確かに、管理を託された人間によって汚されたこの地球は、滅びてしまうでしょう。しかし、その様な先のこと(ではないかも知れませんが・・・)ではなく、今の日本はどうなっていくのでしょうか。不穏な動きがどんどん進んでいっているのを、止めることが出来ないのです。これから、世界はどうなってしまうのでしょうか。20世紀で十分学んだはずなのに。いつか来た道を歩んで行ってないでしょうか。
何らかの事故で尊い人命が奪われて初めて、問題のある制度などを変えることが出来たりします。それもすぐにではなく、何年もの歳月をかけたのちのことです。ましてや小さな私たちが、それらが間違っていると、日本や世界の社会の構造や仕組み、構造などを変えようとしても、ほとんど不可能に近いのではないでしょうか。けれども、私たちには、神様によって、変えることの出来ることがあるのです。
人を変えていくことを通してです。
平和とは、ヘブル語では「シャローム」と言って、単に争いがないということではなく、人間の最高の幸福をつくり出すすべてのものを意味しています。この至福の教えの意味の一つに人間が果たす最高の役割は、人と人との間に正しい関係を作り出すという意味もあったようです。周りの方々と、正しい関係にあるでしょうか。キリストにあって、私たちは新しく創造されているのです(Ⅱコリント5:17)。他の人が新創造されるために、新創造された私たちを用いて頂き、平和を実現する者とされましょう。そのために、まず友だちとなって、良い人間関係の構築から始めていきましょう。