2018年6月10日
2018年6月10日 「生者と死者の主である御方」 コロサイの信徒への手紙1章15~23節
「キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。」(ロマ14:9)
私たちは、人であって人以外になれない者です。私たちは被造物であって、無から有を創り出すことのできない者です。私たちは生きている者であって死んだこ
とのない者です。ですからここに記されてるイエス様像は理解できないのです。では記者であるパウロはどうなのか?彼は神からの啓示を受け入れたのです。パ
ウロによればキリストは、全ての物の創り主であり、全ての物を支えておられる御方・・すなわち神御自身であり、御父に対して御子なのです。そしてこの御方が人として人の世に来て下さり、人の罪を背負って死なれ、死を打ち破ってよみがえられたのです。この御方が「頭」であり、「初めの者」であるなら、後に続く私たちも同じようによみがえることができるのです。私たちは以前「聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者」ではなく「神の怒りを受けるべき者」(エペ2:3)だったのです。しかし御子の十字架の死の和解によって私たちは神の祝福を受け続ける者・・生きている間も死んだ後も・・とされたのです。これが神からの福音であり私たちの希望なのです。パウロはその福音に仕える者とされたと言いました。私もそうなりたいです。そして、私たちもこの福音によって神との平和、人との平和、自分との平和に生きる者とされたいです。