2018年8月5日

2018年8月5日                「祈りによる苦闘」                   コロサイの信徒への手紙2章1~5節

「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。」(ルカ22:46
 私たちは、人が苦しんでいても何の手助けをしてあげられないことがあります。コロサイの信徒に危機が迫った時、パウロはローマの獄中におり、何もできないどころか自分のいのちも危ない状況でした。しかし、パウロは会ったことのない彼らのために祈り、ストレートにその思いを手紙に書いたのです。祈りとは単なる言葉の綾ではありません。祈りは私たちの心を神様に向け、実際に神様の御手を動かすことであり私たちの信仰の告白でもあります。では、パウロは子の祈りによって何をしたかったのでしょうか?第一は励ましです。先日宣教に来てくれた香港チームは、日本の教会は小さくてお年寄りが多いと言っていました。政府から疎んじられている中国であっても教会が大きく若者が多いのです(人口13億人中1億人越え)。世界的に見れば3割以上がクリスチャンです。しかしこの時代は少数派です。価値観が違います。人を愛し(自分含む)仕えて行こうという生き方が、神様の御心であると励まし、困難だけどこの生き方が可能であると示していく必要があったのです。なぜならこの生き方こそキリストの生き方であり、知恵も知識もそれらを用いる力もすべてキリストの内にあるからです。

2018年08月24日