2018年9月9日
2018年9月9日 「平和を求める信仰ーイサク」 創世記26章15~22節
「イサクはそこから移って、更にもう一つの井戸を掘り当てた。それについては、もはや争いは起こらなかった。」(26:22)
「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」(Ⅱコリント12:10)
族長の信仰に学ぶ2回目は「イサク」です。彼は父アブラハムとは違い、父に殺されそうになっても抵抗せず(22:10)、自分の嫁を父たちに決められてもそのことに文句を言わないような、おとなしく従順な性格だったようです。また、ベエル・ラハイ・ロイに住んでいた時飢饉になりました。当時飢饉になれば、エジプトへ食料を求めて行った時代です。アブラハムはカナンを離れましたが、イサクはとどまりました(26:1~6)。彼は受け身的な生涯・・否、徹底して受け身的信仰?を持っていたのです。ですから彼が主の祝福を受けて豊かになり、地元に人たちから妬まれ、またペリシテ人の王アビメレクから「あなたは我々と比べてあまりに強くなった。」(26:16)と認められてもその力を行使せず、まるで弱い者のように逃げ回り、ついに争いのない広い場所・・レホボトを見つけたのです。イサクはなぜそのようなことができたのでしょうか?それは彼が自分の弱さを認めていたからです。彼は自分が生きていく場所を、汲めども尽きない命の水を、争いではなく逃げることによって勝ち取っていったのです。そして主は彼の信仰を祝福されました。