2018年9月2日

2018年9月2日                 「信仰・・従順VS信頼」               創世記12章1~3節、22章1~19節

「アブラハムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。(12:4)
アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。                                                               (22:14) 
 旧約聖書はある面、問いかけであり、基礎です。それに対して新約聖書は答えであり、応用です。旧約は学ばなければなりませんが、新約は実践を求められます。そういうわけで今月は神の選ばれた人であり族長であるアブラハム・イサク・ヤコブまたヨセフの信仰について学んでいきたいと思います。まず信仰の父と呼ばれたアブラハムです。彼が75歳の時、主である神様が「わたしが示す地に行きなさい。」と言われ、それに従って親族の住」むハランを離れてカナンに旅立ったのです。そのことを新約では「これに服従し、行先も知らずに出発したのです。」(ヘブ11:8)と表現しています。さらにここを詳訳聖書では「彼は自分がどこへ行くべきかを知らなかった(わざわざ考えることもなかった)のですが、出て行ったのです。」と表現されています。今日皆さんと一緒に考えたいのは(わざわざ考えることもなかった)の部分です。何故でしょうか?「従順」とは、「おとなしい・素直」というだけでなく、「自分の意見を持たない・考えない」と言う意味も含みます。彼は自分で考えることを放棄して、ただ神様に従ったことが素晴らしかったのでしょうか??ここでアブラハムの信仰を知るもう一つの言葉を考えてみましょう。それが「ヤーウェ・イルエ」です。彼は祝福の約束に引かれて、主に従ったわけではありません。もしそうであるならその祝福の基である「イサク」を捧げれる筈がありません。そうではなく、「アブラムは主を信じた。」(15:6)のです。徹底的に信頼したのです。

2018年09月02日