2018年9月16日

2018年9月16日              「神中心の信仰へーヤコブ」                   創世記32章23~33節

「ヤコブは、『わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている』と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。」(32:31)
「栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられて行きます。これは主の霊の働きによることです。」(Ⅱコリ3:18)
 族長の信仰に学ぶ3回目は「ヤコブ」です。アブラハムは祝福より、祝福の与え主を信頼する信仰・・「アブラムは主を信じた。」と書いてあるように、この御方を徹底的に信じて、人類が呪い(死)ではなく、祝福(命)を得る道を切り開いた人です。イサクは平和を求めました。父アブラムから受け継いだものを守るために徹底的に弱くなり、争いを避けたのです。逃げて逃げて逃げまくって、ついにレホボト(広い場所)を見出したのです。そこで彼は誰はばかることなく、思いっきり命の水を汲み上げたのです。さてヤコブですが、彼は隔世遺伝でしょうか?性格は祖父であるアブラムに似ていたようです。さらにヤコブはほしい物はどんな手段を使っても、たとえ父を騙してでも得ようとする、狂気じみた野心を持っていました(27:18~29)。その彼を変えたのは、双子の兄エサウから逃げ、石を枕にして寝ていた時のベテル(神の家)の経験です。確かにヤコブはここで自分の神様に出会ったのです。でもここではまだ自己中心の信仰で、神様と商人がするように取引しようとしました。もう一つの大きな転機は、エサウと再会する前のペヌエル(神の顔)の経験です。これがヤコブを自己中心の信仰から神中心の信仰へと成長させたのです。何故ならこの体験が聖潔(きよめ)であり、その時からヤコブ(押しのける者)は、イスラエル(神に勝つ・神は争う・神が支配する)に変えられたのです。ア~メン

2018年09月18日