2018年10月21日

2018年10月21日                「言葉の束縛からの解放」             コロサイの信徒への手紙2章20~23節  

「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。」(ガラテヤ5:1)
 私たちは、自由なようでありながら意外と縛られていることがあります。今日の聖書の箇所は、直接的にはグノーシス主義からくる禁欲主義を否定したものです。グノーシス主義においては、この世は物質と霊で成り立ち、物質は悪で霊は善であると考えています。彼らに言わせれば物質が悪なので、物質でできている肉体も悪になります。そこに2つの全く逆の考え方が出てきます。1つは、快楽主義・・悪であれば何をしても悪だから、欲望の命ずるまま自由に快楽を楽しもうというものです。もう1つが、悪は抑制されなければならないと言う考え方です。しかし、欲望はコントロールされなければなりませんが、神様が与えられた素晴らしいものであると聖書は教えています(御霊の実に「節制」とあるのは非常に意味のあることです)。そしてこれらは人の言葉です。私たちは意外と人の言葉・・近所の人や友人、親兄弟・・それが根拠のないうわさ話のようなものであっても、特に自分の考えや思いがしっかりしていなければ、束縛され支配されてしまう事があります。私たちはそこから解放され、自由にされる必要があります。そしてそれらから自由になることは非常に簡単なことです。そのことについて私も孝子師も講習を受け、解放も経験しました。そして解放されて初めて祖の先にあるもの・・きよめでもなく、神様の愛、力でもなくそれら全部を含め+α(アルファ)した「神の国」がみえてくるのです。

2018年10月21日