2018年11月25日

2018年11月25日               「正しいこと」                     マタイによる福音書1章18,19節

「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マタイ9:13)
「愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。」(コロサイ3:1口語訳)
マリヤの夫となるヨセフはまた、イエス様のお父様でもあります。遺伝子的には関係はないのですが・・・。このヨセフは正しい人だと言われています。原文か
ら見ると、「正しい」とは「ディカイオス」という言葉で、神様の目から見て正しいという意味になります。単に人間社会の倫理道徳的な正しさではありません。マタイ9:13に出てくるイエス様のお言葉の「正しい」とは、真面目に律法を守り、その努力の故にその辺の人よりはましな人間で、神様から良い評価を受けられる資格があると思い込んでいる人のことを指して言われています。イエス様ご自身も息を引き取られた後、百人隊長から「本当に、この人は正しい人だった(ルカ23:47)と言われました。「正しい」という生き方は、どうでもいいことではなく、大切なことです。しかし、「正しい」にも2種類あります。マタイ9:11のファリサイ人達は、残念ながら、神様に喜ばれる正しさを持ってはいなかったのです。ヨセフはというと、不貞を働いたと思われるマリアをさらし者にすることを望まず、ひそかに縁を切ろうとしました。ヨセフは神様に喜ばれる、愛に裏打ちされたされた正しさを持っていたのです。あなたは、どんな正しさをお持ちでしょうか。

2018年11月25日