2018年12月16日
2018年12月16日 「神が人となられたということ」 ルカによる福音書1章26~38節
「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。」 (Ⅱコリント8:9)
NHKの朝ドラのヒロインも第2子の妊娠が分かり、大喜びでした。しかし、今日の箇所のマリアは、手放しで大喜びという訳にはいきませんでした。天使のお告げにより、結婚もしていないのに妊娠し、しかも、生まれて来る子は、「偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。」というのです。律法から外れているという命の危険と大きな使命を負った子どもを産み育てるという重大な責任を伴うことだったからです。この一人の若い娘さんの決心が、神様の偉大なご計画を大きく進めていくことになったのです。さて神様は、永遠の初めから存在される御方です。別な言い方をすると、始めも終わりもない御方ということになり、有限な人間にはどんなにしても理解できないことなのです。先週の映画でも表現されていた三位一体も、人間には分かりづらいことかも知れませんが、私たちは三位一体の神様を信じています。この中の御子イエス様は神様の独り子です。ということは父なる神様から生まれた存在です。人間の女性が生むと言うのとは違うかも知れません。生れた時に、何も出来ないような状態ではなかったと想像します。今度は、人間の救いのために、人間の子としてお生まれくださり、自分では何にもできない赤子になってくださったのです。そして人として、様々な喜怒哀楽や弱さ、不自由さを経験してくだいました。