2016年6月19日

2016年6月19日       「与えられた渇き」               ヨハネ4章1~15節

「女は言った。『主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。』」(4:15)
 金・土と津田キリスト教会で行われた「教会主体の社会貢献を考える会」に参加しました。そこで「私たちが、必要のある人々に寄り添うには・・」というテーマで話し合いました。今日の聖書の個所である、サマリアの女の物語は、一人の問題のある女性・・助けの必要な人が、「求め」「満たされ」「共有していく」過程が描かれています。今回は「求め」について聖書から見ていきましょう。ここに問題のある女性がいました。しかし、救い主が現れたからといってすぐに助けを求めるわけではありません。実際に、声をかけられたのはイエス様の方であり、しかも「水を飲ませてください」とお願いする形でした。さすがにこの女性もイエス様を無視できなくて「・・どうして・・」と返してきたのです。ここに関係が始まりました。私たちも、この人を助けたいと思い、また、助けるだけの能力を持っていたとしても、例えば「助けてあげるから」など上から目線では、「関係」ができないし、「関係」ができなければ、その人の、「必要」を満たすことはできません。私たちは、とかく福音は良いものだから、相手も必要だからと押し付けてしまうことがあります。しかし、善意からであっても、押し付けは相手を傷つけてしまうことがあるのです。大切なことは、相手に寄り添い「助けて」と言うまで待つことです。

2016年06月20日