2019年3月10日
2019年3月10日 「待つことは、祈ること」 使徒言行録1章8~12節
「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」(使徒1:14)
イエス様は、「父の約束されたものを待ちなさい。」(1:4)と言われました。そのとおりに、12弟子たちはエルサレムに止まりました。そこは、「泊まっていた家の上の部屋」(1:12)で、おそらく過ぎ越しの最後の食事をした所で、マルコの家であったと思われます(参照12:12)。そこで、12弟子たちは待ちました。しかし何もしなかったのではありません。彼らは祈ったのです。①心を合わせた祈り・・中心メンバーは、ユダ以外の12弟子、婦人たち・・「マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たち」(ルカ24:10)・・、イエス様の母や弟たちです。「12弟子」はイエス様が兵士たちに捕らえられるのを止めることができませんでした。その最たるものがイスカリオテのユダでした。「婦人たち」」は当時、社会的地位が低くその言行は信頼されていませんでした。そして肉親である彼らも、イエス様と良い関係ではありませんでした(参照マタイ12:46~50)「過去を超え 一つ心で 祈り合う 賛美もアーメン 祈りもアーメン」②熱心な祈り・・「ひたすら祈りに励んでいた。」(詳訳聖書)祈り続けるためには目的が必要です。彼らは「待て」と言われて「これからどうしようか」などと話し合ったわけではありません。「約束」があるのです。あとはその約束が、実現するように求め続けるのです。私たちの方で用意が出来たらそうなります。