2019年4月7日
2019年4月7日 「五旬祭の日」 使徒言行録2章1~4節
「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ『霊』が語らせるままに、ほかの国々
の言葉で語りだした。(1~4)」
ユダヤには、聖書に記された3大祭りがありました。「あなたは年に三度、わたしのために祭りを行わねばならない。」(出エジ23:14~19)と書いてあるように、過去の出来事を基としながら、現在の信仰生活につながる大切な意味を持ったものです。①は、除酵祭で七日間酵母を入れないパンを食べます。これは奴隷の地エジプトを出たことを記念する祭りで、信仰生活においては罪の奴隷から救われたことを感謝します。②は、初穂の祭りで小麦の初物をパンにして捧げる祭りで、除酵祭から五〇日目にあたるので、五旬節―ペンテコステ(ギリシャ語)の祭りとも呼ばれます。信仰生活においては、自分の内なるものを捧げて天からの火・・すなわち聖霊様に満たされたことを喜びます。③は、取入れの祭りで、秋の収穫祭のことです。この祭りは、収穫を祝うとともに四〇年間荒野で放浪した先祖の苦労を偲んで仮小屋で一週間生活するので仮庵の祭りとも呼ばれています。信仰生活においては、この地上での生活は仮で、天上にこそ真の住まいがあるとの再臨の希望に満たされることです。今日は特に②について考えてみたいと思います。なぜ、聖霊様に満たされなければならないのか?(動機) どうすれば満たされるのか?(方法) 満たされたらどうなるのか?(その働き)