2019年6月23日
2019年6月23日 「愛するとは?」 ヨハネによる福音書15章11~13節
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)
皆さんは、誰かに愛を注いだことがおありでしょう。御自分のお子さんや伴侶、家族や友人など。しかし、その愛を受け取ってもらえなかったり、迷惑がられたりしたら如何でしょうか。特に子どもは、やればやるほど、うざい!とか、うるさい!とかしか言わなくて、もどかしいですよね。先日上映した「塩狩峠」の主人公、永野信夫さんは、列車に乗っている乗客を救うために、自分の命を犠牲にしました。本当に素晴らしい行為ですよね。でも、皆さんが婚約者のふじ子さんだったら、どう感じられるでしょう。昨日、読書会でやった森下辰衛著「雪柳」の中で、フィクションですが、助けられた乗客の一人から「有難くもないし、むしろ、自分勝手な自己満足のために傷つけられた」と訴えられ、自身も、大きな喪失感と共に葛藤し、苦しみ抜いた末に、遺志を継いで人を愛する者へとされるのです。イエス様の掟は、互いに愛し合うことです(15:12)。口先だけだと簡単ですが、人を愛するということは大変なことです。それを可能にするのが、1、癒される 2、つながる 3、手入れされる ことです。つながるとは、自分の意思を以って、選び取っていくことです。そうして、人を心から愛する者とされていくのです。