2019年6月30日
2019年6月30日 「シンプルチャーチ」 使徒言行録2章40~42節
「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に3千人ほどが仲間に加わった。
そして、一同はひたすら、使徒たちの教えを守り、交わりをなし、パンを裂き、祈りをしていた。」 (使徒41.42)
ここで言う「洗礼」は、単に教会員になるための儀式ではなく、「私たちは、洗礼によってキリストと共に葬られ・・キリストが・・死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためです。」(ロマ6:4)と書いてあるように、古い自分に死んで、新しい自分として生きる象徴なのです。ではなぜ死ななければならないのでしょうか?それはキリスト用語でいう「罪」が赦されるためです。言葉を変えて言えば、死ななければ赦されないのです。その赦される筈のない「罪」を、イエス様が代わりに死んでくださったことによって、私たちを赦してくださったのです。私のこの「罪」がイエス様を十字架に追いやったことが分かった時、初めてキリストと共に葬られ・・死を経験するのです。そしてこの死を経験した者のみが「罪と死との法則」から解放されて、「命の霊の法則」(ロマ8:1・2)に生きる・・生かされるようになるのです。そしてこの命の法則・・聖霊様によって与えられる神の命によって、私たちは「種を蒔く人」(マタ13:18~20)の例えではありませんが、百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶようになるのです。これが「使徒たちの教えであり、パン裂きであり、福音の原則なのです。そして礼拝とは、御前においてこの命を喜び、楽しみ、感謝をささげ、分かち合うことなのです。