2019年7月7日
2019年7月7日 「エクレーシア生活」 使徒言行録2章43~47節
「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に集まり、家ではパンを裂き、喜びと真心をもって食事を共にし、神を賛美していたので、
民衆全体から好意を寄せられた。」 (使徒.2:16・17)
「2030年問題」というのがあります。日キ教団の3分の2が75歳以上となるだけでなく、現住会員も3分の1になると教団継続の危機を訴えています。多く
の教団も同じようなものだと聞きます。それで特に、必死になって若者や子どもに伝道しなければならないと言います。種まき伝道です。確かに存続のために必要なことでしょう。でも聖書はなんと言っているでしょうか?「こうして、主は救われる人々を日々仲間に加えてくださったのである。」(47)なぜ?
①「信じた者たちは皆一つになって」・・ここに「互いに愛し合いなさい」(ヨハ13:34)の御言葉の実践があります。当時は極端な格差社会であり、福祉的 な考え方もほとんどありませんでした。それを解決したのは「社会」ではなく、共有(共同)生活でした。この真ん中に愛がなければ不可能な「生活」です。
②「毎日ひたすら心を一つにして」・・一つになったのは物だけではありません。心もです。むしろ十字架の恵み(パンを裂く)によって、心の方が先に一つにな ったのでしよう。そしてその心を維持していたのは祈り(神殿に集まり)と食事です。
③「神を賛美していた」・・賛美は義務ではありません。私も歌は苦手ですが賛美は好きです。なぜなら、自分の存在そのもの・・神様に創造されたことを感謝し 、自分を喜ぶことから始まるからです。・・これらが人々に畏敬と行為を与えるのです。