2016年7月3日
2016年7月3日 「神が求められた礼拝者」 ヨハネによる福音書4章16~26節
「しかし、まことの礼拝する者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」(ヨハネ4:23,24)
「サマリアの女パートⅡ」では、「満たされる」ことから学びます。彼女はイエス様の言葉で渇き求めました。しかし、彼女が求めた「生きた水」(10)とはイエス様御自身の事であり(参照 黙示録22:1)、それを受けるためには彼女は自分自身の悪を認めなければなりませんでした。なぜなら、偽りと真理は相反するものだからです。ここでおもむろに、どこで礼拝をすればよいかを問いました。彼女にとって礼拝とは、神がおられる正しい場所で、神の赦しを得るために、神にいけにえを献げることだったのです。しかし、イエス様は「神は霊である。」と言われましをた。霊であるとは、場所に限定されないということです。霊であるとは、動物のいけにえではなく、人の霊のいけにえを求められるのです。いけにえとは真心を献げる事です。神様の真理に対して、私たちは真心で答える・・これが礼拝であり、交わりであり、ここに畏敬の念と共に、感謝と喜びが湧いてくるのです。