2019年10月6日
2019年10月6日 「人に(この世)に従うのではなく」 使徒言行録5章27~32節
「人に従うより、神に従うべきです。私たちの先祖の神は、あなたがたが木に掛けて殺したイエスを復活させられました。神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪 を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。」(29~31)
「最高法院(サンヘドリン)」は、イスラエルの最高法的機関であり、大祭司は裁判長のような役割をはたします。すなわちこの国で一番の権力者なのです。その方が何の権力も持っていない一般人に対して2つの事を尋問しました。1、「あの名によって 」-端的に言うと、禁教令違反です。日本でも1565年1569年正親町天皇が出した追放令(京都から宣教師を追放する主旨)1587年豊臣秀吉によるガバテレン追放令、1596年禁教令(26聖人の殉教)、1612年江戸幕府が出した禁教令、その高札が1873年(明治6年)まで掲げられていた。2、「あの男の血を流して責任」-使徒たちは明確に答えています。「復活させられました」-血を流したことは間違い。「悔い改めさせ」-罰をあたえるためではなく、赦し、救い主として認め、従うために。今日皆さんと考えたいのは、「人に従うより、神に従うべきです。」の御言葉です。もちろん何にでも逆らうことではありません。聖書に「人は皆、上に立つ権力に従うべきです」(ロマ13:1)書いてあるように、従うのがクリスチャンの本文です。しかし、人(この世)の価値観と神(聖書)の価値観がぶつかる場合は、「この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」(5:20)と言われた神に従うべきなのです。私が学んでいる「教会の7つの本質」の5番目が「イエス中心」です。それは優先順位ではなく、聖書の価値観で生きると決心し続けることなのです