2019年10月13日
「あの計画や行動が人から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできない。
もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」(38・39)
「神の御心を行えば、神が味方となってくださり、助け手も与えてくださる・・」水村先生の推奨しているジーザスコーチングの概念です。使徒たちは神様の御心どおり命の言葉を民に告げ、自分たちを牢屋に入れ、殺す力のある大祭司に対しても「人に従うより、神に従うべきです。」(29)と、実に堂々と反論しています。神に従うことは神を信じる者の原点です。彼らが悔い改めたかと言えばそうではなく「これを聞いた者たちは激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた。」(33)と書いてあります。知識階級の偉い人たちでも理屈ではなく感情で動くのです。絶体絶命です。この時点で使徒たちが全員殺されていたらイエス様の御心はどうなっていたのでしょうか?しかし、助けは思わぬところから現れました。最高法院(サンヘドリン)の議員で、当時大部分のファリサイ派の人たちが律法生活の最高の模範としていた「ヒルレル学派」の筆頭であり、立場が違ってもすべての民衆から尊敬されているガマリエル(後のサンヘドリンの長)が、使徒たちを釈放したのです今日は私たちの言行が神からか、人から来たものか考えてみたいと思います。彼らも人には選択できる自由意志が与えられていると考えていました。先週も考えてみましたが、この世の価値観と聖書の価値観は、正反対と言ってもいいほど違います。終末は「多くの人の愛が冷える」(マタ24:12)とイエス様が預言されました。私たちは聖書の価値観である愛を土台として生きる者とさせて頂きましょう。