2019年11月10日

2019年11月10日                   「殉教者ステファノの覚悟」                使徒言行録7章44~53節

「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、先祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。」(7:51)
「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いる心。   神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩編51:19新改)
 「訴えのとおりか」と大祭司の問いに対するステファノの答弁です。本来なら偽証に対することなので否定できたかもしれません。しかし、彼はそうせずに「聖なる場所」すなわち神殿と「律法」を言い伝えによって(伝統)、絶対視する彼らを、歴史を通して目を開かせようとしたのです。もちろん悔い改めてくれるとは思っていなかったでしょう。しかし、「兄弟であり父である皆さん」と丁寧に、同胞に対する親愛と議員に対する敬意を込めながら呼びかけています。ステファノは神殿や律法の奴隷になっている彼らを愛するゆえに、自分の命を犠牲にしてでも語らざるを得なかったのでしょう。もしかしたらその愛による無私の心が、表情に出て「天使の顔」(6:15)のように見えたのかもしれません。彼は「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち」と責めていますが、本当は耳を傾けて心砕かれ、悔いた心を持って欲しいと叫んでいるのです。私たちもステファノの言葉に耳を傾けましょう。そして、聖書で人を裁くのではなく、愛をもって人を生かす者とさせて頂きましょう。イエス様は私たちが「命を得るため、しかも豊かに得るため」に来て下さったのです。

2019年11月10日