2019年12月15日

2019年12月15日                   「インマヌエルの神」               マタイによる福音書1章18~25節

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。 その名はインマヌエルと呼ばれる。』これは、『神は私たちと共におられる』という意味である。」(1:22)
今日は、アドベント(待降節・・イエス・キリストの誕生を待ち望む期間ラテン語)3週目です。現実主義や即戦力を求められている時代の中で、ほぼ1か月間クリスマスについて考えるのは、決して無駄なことではないと思います。さて、今日の主人公はマリアの夫であり、イエスの父であるヨセフです。彼は婚約していました。婚約と言ってもユダヤ式でしたので、法的には結婚と等しく、別れる時には離縁状を出さなくてはなりませんでした。しかし、この二人はそんな心配とは無縁で、愛を育んでいたことでしょう。ところが突然大きな試練が訪れました。彼女が妊娠していることに気が付いたのです。だれの子?「聖霊によって」と書いてありますが、前例もなく説明されても」理解できないことです。もしヨセフが律法にただ忠実な人であったなら、妊娠したことを公にし、律法に従って(申命22:23~27)石で打ち殺したことでしょう。しかし彼はそうしませんでした。そもそも律法は人の幸せのために神様が与えて下さったものです。その根底に愛があります。ヨセフはマリアを愛していたがゆえに、自分が損することをいとわないで助けようとしたのです。それこそが本当の意味で「正しい」ことであり、神様の「義」と同質であり、ゆえに夢に天使が現れ「インマヌエル」の約束を与えて下さったのです。

2019年12月17日