2016年9月18日

2016年9月18日           「聖書とは?」                ヨハネによる福音書5章39~40節

「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに、あなたたちは、命を 得るためにわたしのところへ来ようとしない。」(ヨハネ5:39~4)
「行き見れば 栄の奥にも 栄にて 限り知らぬも 永久の春」これが先週のメッセージの要約であり、「死から命へと」(24)移された人の歩みです。私たちは人生様々、人それぞれ、良い事も悪い事もあると何か悟ったような言い方をします。しかし神様からから見れば、人は神にかたどった(創世記1:26)愛と命に溢れる本来の姿ではなく、死を背負い死に向かって歩んでいるのです。そこでもう一度、命に満たされ命に向かう生き方をしてもらいたくて聖書を与えられたのです。確かに人類の代表として選ばれた選民イスラエルは、聖書を学び聖書を研究するようになりました。しかし、形を作って命を入れないというか、「仏作って魂入れず」?というか、最も肝心なことをしていないと言われたのです。私たちはどうでしょうか?確かに私たちも選ばれてクリスチャンになりました。そして一生懸命礼拝に出席し、聖書を学んでいます。しかし、イエス様が言われたような「業」(36)があるでしょうか?この「業」は、神様の御力です。奇跡の業です。死に向かっていた私が変えられ、花を咲かせ実を結ぶ生き方です。その過程で経験する様々なことです。では、この命はどこにありますか?イエス様は聖書にないと言われました。聖書ではなく、イエス様ご自身が、神様の御業であり、奇跡の業であり、命だと言われたのです。

2016年10月08日