2016年10月2日

2016年10月2日       コリントの信徒への手紙二 12章1~10節

「なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」(Ⅱコリント12:10)

私たちは、実に様々な“弱さ”をもっています。身体の弱さや何かの欲に対して弱いとか・・・。こんな弱さはあってはならないとか考え、時に鎧をつけたりします。
使徒パウロはどうなのでしょうか。彼はかつて、第3の天にまで引き上げられた経験を持っていました(12:2)。そんな彼にも、高ぶらないために一つの肉体のとげが与えられたというのです。それが何であったのかは、はっきりしませんが、それを取り去って頂くように三回も主に願ったとあります。それによって、相当苦しめられているようです。しかし、主の答えは、苦痛を取り去ることではなく、むしろその苦しみの中で働いてくださるというものでした。パウロはそれを受け入れ、喜んで弱さを誇るまで言いました。笹尾鉄三郎師は「我らの戦闘力は第一に我らの無能、第二に主の大能である」といいました。私たちも、弱いからとあきらめる必要はないのです。ありのままの弱さを恥じることなく、そこに働いてくださる主の強さを期待しつつ、進ませていただきましょう。

2016年10月08日