主日礼拝メッセージ

2016年3月6日 「弟子の選び」 ヨハネ1:43~51

「更に言われた。『はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。』」(ヨハネ1:51)
 イエス様は、伝道の始めより弟子たちを選ばれました。おそらくガリラヤのカナに行く途中で、フィリポに出会い、「わたしに従いなさい」と言われたのです。フィリポはナタナエル(バルトロマイーマタ10:3)に出会って、彼に「来て、見なさい」と言いました。私たちも、友人にどうしたらイエス様を出会せることができるでしょうか?トラクトや本をプレゼントする。泣き落としや説得をする。賛美集会や特伝、クリスマスの行事などで教会に連れてくる。どれも有効でしょうが、私たち自身がイエス様に出会っていなければ、友人をイエス様に出会わすことはできません。私たちは、自分を指して「来て、見なさい」ここにイエス様がおられるよ。この御方によって私は変えられたのだよ。イエス様は今も共にいて、私の心の真ん中に居てくださるんだよ。ある人はこう思うかもしれません。「いいえ、とんでもない。私はイエス様をいつも悲しませ、人を傷つけ、つまずかせてばかりいます。私を見ないでください。」・・忘れないでください。私たちがイエス様を「師」と選んだのではありません。イエス様が「弟子」と選んでくださったのです(15:16)。私たちは間違えますが、イエス様は決して間違われません。そして自分では「ダメだ」』と思っている弟子を通して、上記の御言葉のように、人が神様につながるのです。

2016年04月04日