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2016年10月16日         「わたしが命のパンである」            ヨハネによる福音書6章34~40節

「イエスは言われた。『わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。‥』」

                                                       (ヨハネ6:35)
下の娘を連れて、クリエイト(フリースクール)の体験入学に行ってきました。そこでは、先生が前に立って生徒を教えるのではなく・・もちろん一切教えないというのではありませんが、生徒が分らないことや質問したことに答えていました。つまり、生徒を中心にして、生徒の考え方を伸ばし、自主性を重んじる方式をとっているようでした。教会も、信徒の生活や仕事場が「神の国」になるように助ける組織になれたらいいなと思いました。さて今日の聖書の箇所ですが、4:13~15とよく似た箇所があります。この女性はイエス様を救い主として受け入れ、サマリアにリバイバルが起こりました。しかし、ここでは彼らはイエス様を拒否し、去っていったのです。イエス様は同じようにアプローチされたのになぜ結果がこんなにも違うのでしょうか?彼女もガリラヤの人々も同じように求めたのです(4:15、6:34)。ですから動機ではありません。では何でしょうか?彼らは「わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どんなことをしてくださいますか。」と問うたのです。彼らは自分が変わることを拒否し、食べれば、自分の血となり肉になって自分に変化をもたらせるものを、アクセサリーのようにぶら下げることを望んだのです。

2016年10月22日