2016年11月

2016年11月13日        「誰に(何に)従うのか?」              ヨハネによる福音書6章60~71節      

「シモン・ペテロが答えた。『主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。』」(ヨハネ6:68,69)
 今週は、お葬式続きでした。6日(日)に元上郡キリスト教会教会員だった
北野千波姉(74歳)が召されて、キリスト教式で葬儀が持たれ、9日(水)には隣保の山本初美さん(92歳)が亡くなられ、仏式で葬儀が持たれました。お坊さんの「阿弥陀如来の本願によって、極楽浄土に行けます。」という話を聞いて、やはり教えには似たところもあるなと思いました。確かに良い教えをする団体や宗教は多くあると思います。しかし、キリスト教は単なる教えではなく、人と神とのかかわりの歴史であり、同時に神が一方的に人を贖った贖いが土台なのです。そして、神御自身であるイエス様に従うか否かが問われるのです。では、イエス様の言葉を聞いて何に従ったのでしょうか?
①欲得に従う人(66節)・・悲しいことに多くの弟子たちがそうでした。彼らは「もはやイエスと共に歩まなくなった。」のです。彼らは自分に益がなさそうだと思うと去っていったのです。②自分の願いに従う人(70節)・・「ユダ」がそうでした。彼は裏切りました。なぜなら従うより、願望を叶えたかったからです。③イエス様に従う人(68・69節)・・「あなたこそ神の聖者である」とペトロが言いました。神こそ最善であると知っていたのです。

2016年11月19日