2016年12月11日
2016年12月11日 「インマヌエルと呼ばれるために」 マタイによる福音書1章18~25節
「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』 この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」
(マタイ1:23)
イエス様(救い主)誕生においては、母マリアが注目されることが多いですが、父ヨセフも同じように大きな役割を果たしています。確かにマリアは 、聖霊によって身ごもったのでヨセフは関わっていませんが、そのマリアとお腹の子を受け入れ・守り、「イエス」と名付けたのはヨセフなのです。彼は正しい人でした。「正しい人(19)」とは、自分の正しさに立つことではなく、 「神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。」(ルカ1:6)人のことです。ヨセフは単に主の掟と定めを守るだけでなく、婚約者マリアとの関係においても、神の御前に正しく生きようとした・・つまり、マリアへの愛に溢れていたので苦しんだのです。それで「ひそかに縁を切ろうと」(19)祈らずに間違った決心をしたのです。しかし、
神様は、御前に正しく生きようとした人を見捨てられません。「夢」を通して語られ、この御方こそ「インマヌエル」だと明かされたのです。この地に誕生された御方は、「インマヌエル」となるために、神の位を捨てて人となり(フィリピ2:6・7)、人と同じ試練を受けられ(ヘブ4:15)、御自身の命によって私たちの罪を贖われたのです(ヘブ9:14)。だからこそ、私たちを執り成すために天に帰られた御方は(ヘブ7:21)、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタ28:20)と言われたのです。