2017年1月22日
2017年1月22日 「真理は、私たちを自由にする」 ヨハネによる福音書8章31~38節」
「イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。『わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。』」(ヨハネ8:31,32)
先週は「姦通の女」の場面で律法学者たちやファリサイ派の人々は、この女の人を罪に定め、イエス様をもハイかイイエの質問で、コントロールし支配しようとしたのです。それに対してイエス様は、ここにいるすべての人に自分を顧みる問をし、考えさせ、選択と責任を与えたのです。そして、「コントロール」の背後にあるのは「自分が正しい」と言う考えであり、「選択」の背後にあるのは「相手を信用する」と言う考えであると言われています。
イエス様は神なる御方であらせられるのに、事実、土でつくられ(創世2:7)、実際に「塵あくたにすぎない」(創世18:27)、不完全で取るに足りない「人」を信じ続けて下さっています。今日の聖書の箇所も「わたしの言葉にとどまるならば」と考える時と選択を与えて下さっています。そして
イエス様は御自身の言葉によって真理を知り、「真理はあなたたちを自由にする。」と言われたのです。それに対してイエス様を信じたばかりであろう彼らは「わたしたちはアブラハム子孫です。」(33)と答えたのです。すなわち私たちは、義人の子孫であり、その契約を守り律法を守ってきた。だから霊的には「自由」なんだと答えたのです。では「真理」とは何でしょうか?一言でいえば「決して変わる事のない、人として行うべき正しい道」のことです。彼らは、ルールを一生懸命に守ることが自由だと言い、イエス様はルールを自分のものにすることが、まことの自由だと言われたのです。そしてそれこそが、イエス様の弟子としての生き方なのです。