2017年1月29日

2017年1月29日         「神のみわざが現れるために」               ヨハネによる福音書9章1~12節

「わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。」(エゼキエル36:26)
 弟子たちはイエス様に問いました。「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」・・目が見えないこと自体辛いことなのに、その原因まで「あなたにある」と言われたら本人はたまったものではないでしょう。科学が発展した現代であっても、上記のような否定的な考え方がいたるところで見られます。いや現代だからこそ、ネットなどに誹謗・中傷などが書かれていると聞きます。しかし、イエス様は「神の業がこの人に現れるためである。」と生まれつき目が見えないという事実を、肯定的に捉えられたのです。確かに事実は事実です。自分の中でどんなにこね回しても変わりません。しかし、どのように捉えるかは、本人の選択によるのです。そして彼はこの事実を肯定的に捉えました。イエス様の言葉に耳を傾け、それに従ったのです。「クロスローズ」というマニュアルの中に、同じ太陽の光を受けながら硬くなってゆく粘土と柔らかくなってゆくロウの例話がありました。彼はロウのように頑なだったかもしれませんが、イエス様に信頼して従ったのです。そして大きな変化が訪れました。この変化は好ましいことばかりではありませんでしたが、「わたしがそうなのです」と自分を取り戻しました。これが神の業なのです

2017年02月04日