2017年2月5日

2017年2月5日          「真理である、命である方」             ヨハネによる福音書11章17~27節

「『わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。』」(ヨハネ11:25,26)
 イエス様は命の危険を感じて、「ヨルダンの向こう側」(10:40)ペレアに行かれました。ここにバブテスマのヨハネのことが出てきますが、彼は「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(1:29)とイエス様の本来の御姿を証ししました。そしてこの地でラザロの病のことを聞いたのです。それは死に至る病でした。しかし、イエス様はさらにここに2日間滞在され、その死を確実にされたのです。後にイエス様はトマスの問いに答えて「わたしは道であり、真理であり、命である」(14:6)と言われました。イエス様は「真理」であるからこそ、生まれつき盲人の目を開けられた・・真理は本来の姿を明らかにする・・からです。今また「愛しておられる者」(11:3)の「死」を通して御自身が「命」であることを証ししようとされたのです。イエス様は本来何にも束縛されず、何も必要としない自存存在なる神様です(出エジ3:14.ヨハネ18:6)。
この御方が完全なる人(誕生から死まで)としてこの地上に来て下さったのは、私たち人に歩むべき道(人生の目的・目標)があることを示し、人は本来土の塵だけでなく、神に似せて造られた 愛すべき存在であるという真理を明らかにし、死・滅びではなく、命・永遠に向かうように選択する為ではないかと思います。物は壊れます。命は失われます。だから今、永遠なる御方を見上げて、この永遠なる命を受け取りましょう。ここに主の御心があるのです。

2017年02月04日