2017年2月12日
2017年2月12日 「間違った行為と正しい動機」 ヨハネによる福音書12章1~8節
「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取っておいたのだから。」(ヨハネ12:7)
ここだけを見るとうるわしい絵のようですが、その前後の小題が「イエスを殺す計画」「ラザロに対する陰謀」と銘打っているようにかなり緊迫した中での出来事でした。現にこの後、「ラザロ」と「マルタ」の名が出てこないのは身を隠したからではないかと言われています。さてこの出来事は、生き返ったラザロとそうして下さったイエス様に対する感謝の食事会の最中に起こりました。ラザロのもう一人の姉妹「マリア」が三百デナリオン(1デナリオンは1日の賃金に当たる)もするような高価なナルドの香油を持って来て、イエス様の足に塗り、それを自分の髪の毛で拭ったのです。マリアは只々感謝‥それ以上の気持ちで一杯だったのでしょう。しかし、弟子を代弁したユダが言ったように、行為としては間違っていたのです(ユダは、ヨハネが指摘したように動機が間違っていました。)。しかし、イエス様は彼女を庇われたのです。「この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、・・」(ヘブ7:25)と書いてあるように、たとえ行為が間違っていても私たちの味方になってくださるのです。「レ・ミゼラブル(ああ無常)」のジャン・バルジャンのように、決して見捨てられないのです。