2017年2月19日
2017年2月19日 「十字架こそ勝利」 ヨハネによる福音書12章12~19節
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」(新改訳)(ヘブル12:2)
この日を特に「棕櫚の主日」と言い、ここから受難週が始まり、イースター(復活祭)へと続くのです。この出来事は単にイエス様が命の危険を顧みず、エルサレム入場され、大勢の群衆がそれを歓喜を持って迎えた・・だけではありません。イエス様はエルサレムにイスラエルの真の王・平和の王として、また真の戦いに勝利した凱旋将軍としてエルサレムに入城し、群衆も「ホサナ(ヘブル語で「どうぞ、救ってください」との意味)と叫び、なつめやしの枝を持って、イスラエルの真の王としてお迎えしたのです。では、イエス様は何に勝利されたのでしょうか?十字架です。もちろんイエス様はまだ十字架についておられませんが、この過ぎ越し祭りの中で、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」(1:29)とバブテスマのヨハネが言ったように、十字架にかかって血を流すためにエルサレムに入られたのです。私たちにも負うべき十字架があります。イエス様は「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マタ16:24)と言われました。イエス様に従うとは、イエス様のようになってゆくことです。自分を変えてゆくことです。しかし、それは簡単なことではありません。自分に死ななければできないことかもしれません。しかし、その先にあるものは・・輝かしい勝利の喜びなのです。