2017年3月5日
2017年3月5日 「一粒の麦となられたお方」 ヨハネによる福音書12章20~26
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」(ヨハネ12:24,25)
これはイエス様が、ギリシア人改宗者に向かって語られたお言葉です。「人の子が栄光を受ける時が来た」とは、多くの人が期待したように、ローマ帝国を倒してユダヤを開放する救世主になることではありません。アダム以来、すべての人の罪のために十字架で命を捨てられ、人類を死と呪いから解放することでした。このことをイエス様は「一粒の麦」と表現されたのです。身代わりの死によって、人類は真の命・・永遠の命を得ることができたからです。そしてイエス様は、この「永遠の命」を自分のモノとするために「自分の命を憎む」ことが必要だと言われたのです。どういう事でしょうか?この世は、競争社会であり、人より少しでも多く得ることが成功への道なのです。ここで言う「自分の命」とはこの世の価値観を受け入れ、利己的に利益を追求することです。それを憎むとはその反対のことをすることです。すなわち協力し合い、利他的(自分の損失になっても他人の益を求めること)になって少しでも多く与得ることで、喜びを得ることです。
しかし、果たしてそのようなことができるのでしょうか?イエス様はその模範を示されました。そして父なる神様はその様な人を大切にすると約束されたのです