2017年3月19日

2017年3月19日              「愛し抜く愛」                 ヨハネによる福音書13章1~11節

「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」(ヨハネ13:1)
受難週に、「洗足木曜日」としてよく開かれる個所です。イエス様が十字架につけられる前日に、御自身のことを記念するようにと、パンを裂かれぶどう酒を飲まれました。「最後の晩餐」と言われる出来事です。その直前に席につかれていた
イエス様がおもむろに立ち上がって、弟子たちの足を洗われたのです。彼らは直前まで自分たちの内で誰が一番偉いかと議論していました(ルカ22:24)。もしかしたら彼らの足が汚れたままであったのはそのことに関係があったのかもしれません。それはともかくとして、イエス様の行為に彼らは驚き、軽いパニックを起こしたようです。その弟子の中にイスカリオテのユダがいました。
イエス様は「皆が清いわけではない」と言われ、ユダの裏切りを知りながらも足を洗われました。彼はいったいどんな気持ちだったのでしょうか?
今日、皆さんと一緒に考えたいのは、ユダの気持ちではなく、イエス様が見せて下さった「愛して、この上なく愛し抜かれた」愛のことです。「愛」と訳されるギリシャ語の原語は4つあり、アガペー(無条件の愛)、エロース(愛する価値のあるものを愛する愛)、フィリア(友愛)、ストルゲー(親子の情などの自然な愛)です。そしてイエス様が見せられ、「あなたがたもするようにと、模範を示」されたのは、アガペーの愛なのです。この愛は自然に湧き上がってくるものでも、相手に左右されるものでもなく、強い自分の意志による愛なのです。

2017年04月01日