2017年4月30日
2017年4月30日 「イエス様のお苦しみ」 ヨハネによる福音書13章21~30節
「そこで、わたしは目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような健闘はしない。すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかもしれない。」(Ⅰコリント9:26,27口語訳)
詳訳聖書には「イエスはこう言われたあとで、心に苦しみを覚えて〈心を乱して、いらだたせて〉言われた・・」(21)と書いてあります。イエス様は何に対して「苦しみ」を覚えられたのでしょうか?もちろんユダが裏切ったからでしょう。イエス様はたびたびユダに愛を表現されました。「イエスの愛しておられた者」(23)が右隣にいたのであれば、ユダは左隣にいたはずです。そうでないと会話をしにくいし、「パンきれを浸して与える」(26)という愛情表現もしにくいからです。しかし、皮肉なことにこの愛情表現がユダに裏切りを実行させるきっかけになったのです。どんなに愛情を注いでも裏切ってしまう・・イエス様のお心が痛まないはずはありません。しかし、考えてみれば、イエス様の愛に答えられなかったのはユダだけではありません。言わば12弟子全員です。ではユダは何が特別だったのでしょうか?彼は「使徒」にイエス様によって選ばれた者です。しかし、彼はその使命(目標)を裏切ってしまったのです。それは自分自身も裏切ってしまう事と同じでした。それともう一つ。彼はイエス様の「赦し」も裏切ってしまつたのです。