2017年7月23日

2017年7月23日        「分離+ささげる=神の力」                 Ⅰテサロニケの信徒への手紙5章16~24節

「どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なるものとして下さいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエスキリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。あなたがたのお招きになった方は、真実で、必ずその通りにしてくださいます。」(Ⅰテサロニケ5:23,24)
神様は「天国」という希望を与えられただけではなく、「いつも喜んで居なさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい.」(16)と言われました。それはイエス様に与えられた永遠の命によって(ヨハネ5:24)、どのような状況にもかかわらず喜びが沸き上がってき、不断の臨在の中でいつもイエス様に聞き、どんなことがあっても主は最善以外のことはされないとの信仰に立って(詩篇119:68)、感謝をささげることが出来る・・これが私たちクリスチャンの聖書に書いてある姿なのです。しかし神の言葉VS人の現・・どんなに違和感を感じても信ずべきは「神の言葉」です。ではなぜ「神の言葉」が現実にならないのでしょうか?それは私たちの霊も魂も体も聖められていないからです。聖めとは詳訳聖書では「すなわち、あなたがたを卑俗なものから分離させ、純粋な、神に全くささげられたものとしてくださるように」と書いてあります。分離してささげる。私は今回山口福音教会でそのような祈りを学んできました。神様のお力を体験しましょう。

2017年08月02日