2017年8月6日
2017年8月6日 「愛の実践」 マタイによる福音書25章31~46節
「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの小さい一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25:40)
私は、天国に行くことができます!なぜなら、のどが渇いている人に麦茶をあげたからです。岐阜県での時は、とても感謝されました。たいていのお母さんは、
これにあずかれるんじゃないでしょうか。
天国に迎え入れられるためには、人に何十億と寄付しなさいよとか、人生を平凡ではなく歴史に名を刻まれるようになりなさいとか、大変なことを求められているのではないんです。毎日出会う小さい者の一人でいいから小さなことをするだけでいいんです。
先日、最後まで現役の医師だった日野原重明先生が召天されました。人生というものを時間として捉えられ、それを、自分のためだけに使うのではなく、人のために使いなさいと言われました。自分のことしか考えれないとしたら、他の人が何を必要としているのか分からないんですよね。先生は、「なんと言っても、人が人に与える最高のものは心である。他者のための【思い】と【行動】に費やした時間、人と共にどれだけの時間を分け合ったかによって、真の人間としての証がなされる。」とおっしゃいました。
勿論、私たちはイエス様を救い主として信じる信仰によってすでに救われています。しかし、その信仰が日常生活の中で実践されないといけないのです。クリスマスキャロルやああ無常にもそれらが表されています。