主日礼拝メッセージ

2016年4月3日   「神の国を受け継ぐ者」       コリントの信徒への手紙一  15:50~58」

「この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。『死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よお前のとげはどこにあるのか。』」(Ⅰコリント15:54,55)
 今日は、天にいる方々と共に礼拝する日です。正確には先に天に召された方々と地上で礼拝している私たちが、生者の主であり死者の主である御方の御前に(ロマ14:9)、共に礼拝しているのを確認する日です。
「あさが来た」(NHK連続テレビ小説)も、4月2日(土)でついに終ってしまいました。非常に面白く、感動させられるドラマでしたが、主人公をはじめそれぞれの生き方は死に方と無関係ではなく、「死」をしっかりと見つめていないと、筋の通った良い生き方ができないのではないかと感じさせられました。それでもやはり「死」は悲しく、愛する者と死別する苦しみは、見ているだけで心が刺されるような痛みに襲われました。しかし、聖書は人の「生」は「死」で終わるものではないと言います(ヨハネ3:1,11:25・26)。特に最終話の亡くなった白岡新次郎さんとあささんが、共に若くなって再会するシーンは、聖書の死生観そのものだと思いました(モデルとなった広岡浅子さんは62歳頃受洗されました)。私たちには死ぬことがなく、愛する者と相まみえることのできる希望があるのです。

2016年04月06日