2017年8月13日
2017年8月13日 「イエス様の御名の権威」 ヨハネによる福音書16章16~24
「今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」(ヨハネ16:24)
14章から17章までが、イエス様の最後のメッセージです。「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる.」(16) これはイエス様が十字架の死を経験され、3日後によみがえられることを指します。そしてこれは当たり前のことですが、十字架の死は人でも経験できますが、死を打ち破ってよみがえられることは命を創られた神様にしかできません。弟子たちが復活されたイエス様に出会ったとき(復活の意味が本当に理解できたとき)その喜びがいかに大きく、どのような状況の中でも変わらず永遠に続いたことでしょう。弟子たちの記録である「使徒言行録」は迫害の歴史であると同時に、この喜びが抑えきれずに爆発した記録でもあると思います。そして聖書の理屈で言えば現代に生きる私たちにも、同じ永遠の喜びが与えられているのです。私たちが信じ受け入れたのは、私たちすべての「罪(神様の法律違反)」を背負って十字架で死なれたイエス様だけではなく、死に勝利された(Ⅰコリン15:54)復活のイエス様なのです。私たちは本当にそのことを理解しているでしょうか?イエス様は「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」(マタイ28:18)と言われました。この御方が「わたしの名によって願いなさい」と言われたのです。もちろん「イエス様の御名」ですから、イエス様が望まれないこと・・自分の欲望や人を傷つけること・・以外はどのような問題も解決しないはずはないのです。本気で「御名の権威」に頼ってみませんか?