2017年10月1日
2017年10月1日 「苦難に対処する法」 ヨハネによる福音書18章1~11節
「苦しみにあったことは、わたしには良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」(詩篇119:71口語訳)
祈りを終えられ、立ち上がられたイエス様のところに、苦難と「この上なく愛し抜かれた」(13:1)弟子ユダがやってきました。最悪の組み合わせです。愛する者が裏切り者となって、イエス様を捕らえるために下役や兵士を大勢引き連れてやってきたのです。しかも過ぎ越しの祭りは、満月に行われるので、月夜で明るい夜なのにわざわざ松明と武器を携えてやってきたのです。おそらく彼らはイエス様を守ろうとする弟子たちや群衆の抵抗やイエス様が逃げ隠れすることを想定していたのでしょう。結果的には2つとも外れました。イエス様は逃げも隠れもしませんでしたし、イエス様を捕らえようとするときほとんど抵抗を受けませんでした。なぜなら、イエス様は「父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」(11)とこの苦難を試練ととらえて、積極的に受け入れられたからです。「苦難」と「試練」は似て非なるものです。弟子が裏切り兵士が自分を捕らえに来た事実を、イエス様は自分の責任だと、自分を責めることをせず、祭司長たちの陰謀だと相手を恐れず、ただ自分が成長するためのステップとして受け取られたのです。私たちクリスチャンに偶然はありません。父なる神様が知らないことが私たちに起こるはずがないからです。だから恐れないで、イエス様のように知恵と勇気をもって対処してゆきましょう。