2017年10月29日
2017年10月29日 「権力者の傲慢」 ヨハネによる福音書18章19~24節
「一番上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」(マタイ20:26~28)
イエス様が最初に裁判を受けるために連れていかれたアンナスは、大祭司ではありません。しかし、彼の息子の内4人が大祭司になり、カイアファは彼の婿だと言われています。大祭司になるためにはローマ帝国に従わなくてはなりませんでした。つまりアンナスこそローマに媚びへつらうことによって、ユダヤ人の最高権力者となった人物なのです。アンナスはこの権力によって無実(マルコ15:10)のイエス様を捕らえ、大祭司でもない自分が、違法である夜の裁判を開き、イエス様の頬を打たせたのです。なんという横暴傲慢でしょうか?では、真の権力者であり、権力の源である主はなんと言われたでしょうか?何をして下さったでしょうか?7重のへりくだりといわれているフィリピ2章6~8節の中には「固執しようとは思わず・・」と書いてあります。西播聖会の講師であった笠見滋先生は、人の罪は傲慢さにあると言われました。つまり私たちは固執するのです。親であったり、教師であったり、地位であったり、過去であったりです。先日子どもセンターで「発達障碍児の理解と対応」と言う研修会がありました。そこでも自分と言う職員や親に固着せず、子ども一人一人を理解し、一人一人の必要な支援をすることが大切だと教わりました。イエス様に倣いましょう。