2017年11月12日

2017年11月12日                 「十字架による完了」             ヨハネによる福音書19章28~30節

「イエスは、このぶどう酒を受けると、『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取られた。」(ヨハネ19:30)
 イエス様は神の国について教えられ、奇蹟をおこし、多くの人を病や悪霊から解放されました。まさにイザヤ61章1節のメシア(ヘブル語で油注がれた者の意)預言の成就です(ルカ4:21)。では、神であられた御方が、人となってこの地上に来られた目的は何でしょうか?イエス様が伝道を始められたとき「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マル1:15)と言われました。イエス様の生涯はある面、神の国とはどういう所かを示し続けられたのかもしれません。そして「成し遂げられた」とは、人が神の国に入ることができるようになったということです。そのためにイエス様は「十字架刑」と言う重くつらい罰を受けられたのです。なぜなら、神の御前に罪人である私たちは罪を償わなければ、「第二の死」(黙示20:14)永遠の死、永遠の滅びに至るしかなくなるからです。もし神様がおられなかったら人の生涯は、この地上の死で終わります。とは何もありません。しかし、事実、神様は・・私たちを創造し私たちを愛しておられる御方・・おられます。聖書に「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように」(ヘブ9:27)と書いてあるとおりです。神様は決して罪を償いなくして赦される御方ではありません。
イエス様が私たちの罪を償って下さったからこそ私たちは赦され、神の国(天国)に入ることができるようになったのです。では、私たち人類ではなく私と言う人が神の国に入るにはどうすれば良いでしょうか?罪が赦されているという信仰ですか?いいえ。自分が罪人であると知ることです。私もそうでした。主は罪を憎まれますが、罪人である私を愛されたのです。

2017年11月12日