2018年1月14日
2018年1月14日 「復活の事実」 ヨハネによる福音書20章1~10節
「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」(Ⅰコリ15:14)
世の中には、自分の頭では理解できないことがあります。「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。」(9)と書いてあるように、イエス様を神の子(マタ16:16)と信じているペテロであっても受け止めることができなかったのです。
しかし、事実は「見て、信じた。」(8)と書いてあるようにそのまま受け入れることができるものです。マグダラのマリアは、墓の石が取り除かれ空っぽになった墓を見て、イエス様がおられないという事実を受け入れ、何者かに取られたと思い弟子たちに助けを求めました。弟子たちの内ペテロとヨハネだけは恐れずに確かめに行き、亜麻布を見てイエス様がここにはもうおられないことを確信したのです。私たちもどう解釈してよいか分からないことがあります。そのようなときは無理して解釈したりせず、事が動くのを「待つ」ことか大切ではないでしょうか?私たちの主は、私たちの罪過を背負って十字架にかかって死なれただけではなく、罪過の結果である死を打ち破って復活されたのです。どんな状態の中でも復活の主は必ず私たちを導いてくださいます。信じて待ち望みましょう。