2018年2月4日

2018年2月4日                  「与えられた平安」                ヨハネによる福音書20章19~23節

「イエスはもう一度、彼らに言われた。『平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。』」

                                                       (ヨハネ20:21 新改訳聖書)
復活されたイエス様が、最初にお会いされたのは最後まで愛し通された弟子たちではなく、最後まで気にかけていた母マリアでもありません。7つの悪霊を追い出して頂いたマグダラ出身のマリアと言うイエス様に仕えていた1女性です。何故かはよくわかりませんが、彼女は命の危険も顧みず自分がイエス様の弟子であることを行いと言葉で表していたのです。さてその日の夕方、エマオの途上で2人での弟子に同行されたイエス様が、時間と空間を超えて、恐れに縛られて隠れるように集まっていた12弟子たちの所に、突然お姿を現されました。それは弟子たちを遣わすためでした。遣わすために3つの必要を与えるためでした。それは①平安を受ける必要・・事実弟子たちに危険が迫っていました。だからこそイエス様はこの世の平安ではなく、わたしの平安(14:27)すなわち御自身が約束の通り、共にいて下さると言う平安を与えると言われたのです。②聖霊様を受ける必要・・イエス様は100%の人としてこの地上に生まれて下さいました。しかし、伝道を始められるとき聖霊様を受けられたのです(マタ3:16)。聖霊様は助け主であり神の力です。この方によらなければ神様の働きをすることはできません。③権威を受ける必要・・罪を赦す権威は、私たち罪人を罪から解放し、本来の人として生かす力です。私たちは子の権威ゆえに、罪の赦しを高らかに宣言し、罪ゆえに人を縛ろうとするサタンに命じることができるのです。

2018年02月04日