2018年2月11日
2018年2月11日 「疑う者トマス」 ヨハネによる福音書20章24~29節
「イエスはトマスに言われた。『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである』」(ヨハネ20:29)
1週間前、戸に鍵をかけた部屋にイエス様が姿を現し、12弟子に「平和があるように」と言われました。しかしそこにトマスはいませんでした。そしてトマスは10人の弟子たちが「主を見た」と言っても信じなかったのです。この出来事から「疑い深いトマス」と疑うことが彼の性格のように言われていますが、本当にそうなのでしょうか?トマスは「ディディモ」と呼ばれていました。「双子」と言う意味だそうですが、彼の場合は外見より心の2面性・・信じる面と疑る面があったようです。性格からいえば現実的な悲観主義者だったようで、ペトロと対照的ですね。トマスは他の弟子の説得にも屈せず、復活したイエス様を自分の目で見、触れなければ信じないと言ったのです。トマスの言ったことは間違ってはいません。トマスの言った言葉を聞いたイエス様は1週間後トマスのために現れて下さり、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と言われたのです。それは①自分の心に正直になりなさいと言う意味です。トマスはイエス様を否定したのではありません。イエス様を愛しており、出来れば信じたかったのでしょう。しかし彼の理性が邪魔をするのです。復活を頭で理解できないのです。だからイエス様は頭ではなく、心の働きで受け入れなさいと言われたのです。②見ないのに信じる人になりなさいと言う意味です。現実的な人は見えないものには関心が行きにくいと言います。だから見える御言葉に従うのです。